2010年1月24日 (日)

懐かしの70年代アイドル・ロックたち!!

20100124_1 このブログ、いつもプログレの話ばっかなので(笑)、たまにわ毛色の変わったネタで書いてみよーと思いまふ。

写真わ1970年代前半に流行った、「アイドル・ロック」のCDたち。最近は紙ジャケ・ブームの中でひっそりと隠れて、こーいったアイドル・ロックの紙ジャケが発売されているから、情報収集あなどれない。さらに、紙ジャケでなくともたまたまAmazonHMVのサイトを検索していると、懐かしいアイドル・ロックのCDが輸入盤でリリースされていたりもして、そんなこんなで集まってしまったCDたち。

...で、アイドル・ロックの親玉といえば、ナンと言ってもベイ・シティー・ローラーズ。(写真②)ちょうどともべが中学生の頃、日本にわ

「ローラーズ旋風」(笑)

が吹き荒れていた。中学生といえば、まわりの仲間も洋楽を聴き始めた頃で、クラス全体がローラーズ派(ほぼ女の子)とビートルズ派(ほぼ男の子)と、カーペンターズ派(男女両方)の3つにスッパリ分かれていたのを憶えている。ちなみにともべわ、

「カーペンターズ派で、でもローラーズも好き...」

だった。基本「メロディーの綺麗な音楽が好き」はこの頃から変らない。ビートルズは当時から波長が合わなくて、

「いまだに波長が合わない」(笑)

20100124_2...で、ベイ・シティー・ローラーズなんだけど、当時は

「ビートルズの再来か??」

なーんて言われて、賛否両論を呼んでいた。もちろん、今聴けばビートルズの再来でなかったのわ明らか。音楽的に新しい要素なんてなーんにもないんだから(笑)。でもじゃーローラーズが出来が悪かったのか??とゆーと、今聴いても極上のポップ・ロックだと思う。基本的にともべ、

「ベイ・シティー・ローラーズ、大好きです。」

でも当時こーいったアイドル・ロックのブレインにはニック・ロウやらエリック・カルメンやらのツワモノがバックに付いていたワケで...実は悪かろうハズがないのデス。でもBCRで持ってるCDは1枚だけ。(写真①左)ベスト盤1枚あれば事足りる気わします。

さらに続いては「ロゼッタ・ストーン」(写真①右)。これわデビュー・アルバム。BCRを脱退したイアン・ミッチェルが結成したこのバンド、クリーム「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」でデビューを果たすとゆー、アイドルらしからぬナカナカ斬新なバンドだった。この1stアルバムを購入したのは、2ndシングルであった「2人のパラダイス(If Pradise Is Half As Nice)」とゆー曲が、当時大好きだったから。このバンドの特徴としては、例の「サンシャイン~」もそーだけれど、バンド・アンサンブルの中にシンセサイザーのシーケンス・パターンを多用している点。なかなかユニークだったと思いまふ。

20100124_3続いては、「デッド・エンド・キッズ」。(写真③左)ライヴでBCRの前座を務めるも、

「メインのBCRを喰ってしまったために、クビになってしまった」(笑)

とゆー、ホントかウソか??のエピソードを持つバンド。BCRが「優等生」なら、コッチわ「悪ガキ」で攻めてます(笑)。デビュー・シングルの「初恋にレッツゴー!!(Have I The Right)」と、2~3枚目のシングルの「All My Love Always(邦題は不明)」わ、いまだともべのマスター・ピースだったりする。BCRよりもさらにイキの良さが身上のバンドだった。

さらに「ハロー」(写真④右)デビュー・シングル「テル・ヒム(Tell Him)」の一発屋に終わってしまった感わあるけれども、今聴いてもこの「テル・ヒム」は猛烈に痛快でカッコ良い。当時は「ハッピー・ロック」なーんて言われてたっけ...。このハローに関しては、来日時、当時日曜日の夜6時からNHKで放送していた音楽番組にゲスト出演していて、この「テル・ヒム」を生演奏。あまりにスタジオ盤とわかけ離れた演奏で、ア然とした記憶があります。

「コレ、違う曲じゃーん!!」

やっぱあのサウンドわ、ライヴでは再現できないのね~ん。(笑)

20100124_4さらにさらに、「フリントロック」。(写真④左)これは日本での2ndアルバムなんだけど、シングル・カットされた「恋する青春(Anything For You)」(なんで当時の邦題って、みーんなこーなんでしょーね??(笑))が大好きだったので、購入した1枚。でもアルバム1枚聴いてみると、このバンド、意外とマトモで硬派です。アイドル・ロック中では「実力派」のほーでしょー。

続いては「バスター」(写真④右)。ここまでくると、もー説明の必要ナシ。「すてきなサンデー」は、日本でも大ヒットしました。アルバム全体も、まあ甘ったるくて、良くも悪くも「低年齢層向き」(笑)なバンドではありましたが...。

その他にも、ショーン・キャシディーデヴィッド・キャシディーの弟)とか、パット・マッグリン&スコッティーズとか...紙ジャケでひそやかにリリースされたよーですが、まあこのジャンルなので、「本当に聴きたい1曲」が収録されているアルバムだけに、的を絞って買ってます。70年代の当時、良い子たちわ学校早めに下校して、「ぎんざNOW」でこーいったバンドのプロモを一生懸命観ていたノダ(笑)。

...で、これらの70年代アイドル・ロックを音楽的に特徴付ける要素ってナンなのか??ちょっと考えてみると、個人的には「ハンド・クラップ(手拍子)」だと思うのです。当時のアイドル・ロックは、BCRを初めとしてことごとくのバンドの曲が

「ハンド・クラップの4ツ打ち」

(つまりハイハット2回に1回のタイミングでクラップが入る)。つまり、基本

「ぜーんぶサタデー・ナイト」(笑)

だと思えばよろしーかと...。

(...と、さらに妄想は発展して、例えば「ハイウェイ・スター」にクラップ4ツ打ちが入っていたらどーなるか??とか...想像してわ、いけません。そーとー間抜けです。(笑))

20100124_5懐かしロックを紹介したついでに紹介しちゃうと、写真⑤はニック・ギルダーの1stと2ndの2in1CD。コレわちょっとアイドル・ロックではないですし、年代的にも70年代末です。でもコレ単体で紹介できる機会もあまりないのと、

「こーんなのも、実わCDになってる!!」

つながりで(笑)あえて紹介しちゃいます。

長身のスリムな体で中性的なハイトーン・ボーカルを駆使するこのニック・ギルダー。1978年に「ホット・チャイルド・イン・ザ・シティー」のシングルを大ヒットさせました。このアルバムの1曲目「Got To Get Out」がメチャクチャかっこ良くて、「パワー・ロック」のお手本みたいな1枚。...で良く良くクレジットを見てみたら、プロデュースがマイク・チャップマンなる人物で、後の大ヒット、ナック「マイ・シャローナ」をプロデュースしたのと同一人物だった。つまりアメリカでは

「パワー・ロックの総本山」(笑)

みたいなヒトらしーです。

...ってなワケで、1970年代のアイドル・ロックの紹介だったワケなんだけれども、これが現在ともべの敬愛する「プログレッシヴ・ロック」のムーヴメントと、時間軸を同じくしていたのも面白い。当時、アイドル・ロックは一大ムーヴメントだったハズなのに(日本でも「八木まこと」なんてDJが盛んに「布教」していましたっけ...)、当時を語るヒトなど、今やほとんどいない。一方プログレはいまだブームなワケで、これも実際に音楽が持つ「中身の内容の差」で長い歴史に耐えられるかどーかが決まるんだろうなーと、思いまふ。

「でも、当時のアイドル・ロックのコンピレーションCD作ったら、ゼッタイ売れると思うぞ!!」

(レーベル権利の関係で難しいのかしらん...)

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2008年3月 8日 (土)

冨田勲のライヴCD!!

20080308_1 写真わ先日購入した、冨田勲大先生のリマスターCD,「マインド・オヴ・ユニバース」と「バック・トゥー・ジ・アース」の2枚です。クレジットを見ると2007年の10月には発売になっていたよーなんだけれど、ゼンゼン知らなくて先週タワー・レコードに行ったときにたまたま見付けました。嬉しかったっス!!(笑)。

そもそも冨田氏のリマスター盤は、「月の光」発売30周年記念リリースとして2004年に紙ジャケ・リマスターでCD発売されていて、そのときの紙ジャケを「惑星ボックス」入りで、ともべも所有しています。(写真②)ただなぜか今回の2枚のライヴ盤だけわリリースの対象から外されていて、ともべの手元にも旧規格プラケの音が古いCDが残ったままでした。ともべ個人的にもカナーリお気に入りな2枚なモンだからとっても残念で、それが今回プラケながらようやくリマスターされてとっても嬉しいのデス。(ホントーわ紙ジャケのリリースのときに、一緒に発売されてくれればもっと良かったんだけれどもネ...(笑))

...で、カンジンのこの2枚、どちらも「トミタ・サウンド・クラウド」なる屋外ライヴでの実況録音盤です。「マインド・オヴ・ユニバース」は1984年のオーストリア、リンツ・ドナウ河周辺でのライヴで、「バック・トゥー・ジ・アース」は、1986年、ニューヨークのバドソン河周辺でのライヴです。2枚とも今回の24ビット・リマスターの効果は確実に現れていて、特にエコー関係の残響感が素晴らしいですネ。

20080308_2曲的には「マインド~」のほーわ合唱団を交えたベートーベンの第九、「バック~」のほーわドラマティックに展開するガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」が一番の聴き所でしょーか??あと、2枚ともワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」からクライマックスの「愛の死」か収められているのデスが、冨田氏とエニドの関係なーんてあんま考えたコトないんだけれど、冨田氏のあの音色でワーグナーなんか演られると、「あ”??ほっとんどエニドじゃん!!」とかわ思いますねぇ~...(笑)。

今回改めてこの2枚を聴いてみて思ったコトわ、とにかく冨田氏のシンセサイザーの「色彩感」って素晴らしいっ!!最近のシンセ音楽みたいに、デジタル・シンセのプリセット・ライブラリーの中からテキトーに音色を選んで、お手軽に作った音楽とは「全く別次元っ!!」の感があります。そう思うと、シンセがどんどん多機能化していって、逆にこの素晴らしい楽器の無限の可能性を忘れかけそーになっているコトって、ありませんかねぇ??「1から音を作らずに済んでしまう便利さゆえに、1から作るゆえの可能性までも失ってしまった」、なーんて言えなくはないでしょーか??(もち、ともべ自身に対する反省の意味も込めてネ...)だから冨田氏の他の作品群も含めて、特に若いヒト達にはもっともっと聴いて欲しい音楽です。

20080308_3あと、今回のCDに収録されている冨田氏の屋外ライヴ「サウンド・クラウド」わ、続く1988年に岐阜の長良川で、1989年に横浜の山下公園で、日本国内でも2回開催されています。(実わそれ以外の国内開催も、何回かあったみたいですが...)ともべ、この2回はどっちも生で観ました。特に1988年の長良川は、特に思い出が深いです。

1988年って言うと、ともべわまだ入社2年目の「ほぼ新入社員」。6月頃に雑誌で冨田氏のサウンド・クラウドが日本でも開催されるコトを知り、もー大興奮っ!!(笑)。あのリンツやニューヨークでのライヴの状況はFM放送・音楽雑誌等で日本にも入ってきていたから、どーしても生で観たくて、名古屋の旅行代理店に即電話っ!!「チケットは通信販売ではお取扱いしていないんですけれどもぉ~...」って、何度も断られたトコロを、「そこをどーしてもお願いしますっっっっ!!」って粘りに粘って、最後には「お客様の情熱には負けました...」って、代理店嬢がチケットを1枚、通販で工面してくれました。(若気の至り...(笑))

会社を1日有給休暇を取って、新幹線と在来線を乗り継いで岐阜まで行きました。会場では長良川の両岸に大きなスピーカー(ざっとみても十数基)と、冨田氏の乗る「ピラミッド・カプセル」まであって、もー興奮するコトしきりっ!!夜になって、チャイコフスキーの「大序曲<1812年>」で始まりストラヴィンスキーの「火の鳥」で幕を閉じたサウンド・クラウドは、レーザー光線や花火、噴水なんかの視覚的演出なんかもあいまって、それはそれは素晴らしかった。(ウワサによると、このときのチケットわ最後には1枚10万円のプレミアで取引されていたとか...)ともべの若き日の、良き思い出となっています。

その後、サウンド・クラウドはさらにスケール・アップして1989年には横浜の山下公園でも開催。コッチわ学生時代の友人と観に行きました。確か夏の花火大会との共同開催だったよーに思う。コッチも素晴らしかったながら、ただこのサウンド・クラウド、「音が拡散する」屋外では、どー頑張ったハイ・パワーのPAシステムを使用しても、音のボリューム的に十分には補いきれない、そこがある種のネックなよーな気もしました。(横浜港みたく、規模が大きかっただけによけいにネ...)

...てなワケでハナシを戻して、今回の冨田氏のリマスターCD,他の紙ジャケなんかも含めて、「ともべもちゃーんとベンキョーしなおさなきゃなぁ~...」なーんて思っている今日このごろなのデス(笑)。

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2007年6月23日 (土)

夏わボサノバっ!!

20070623_1 夏です...とゆーか梅雨です。でもじぇーんじぇん雨、降らないの。これでも梅雨かいっ??みたいなカンジ(笑)。だから世間はもっぱら「真夏」です。あち~よ...。

...で、夏といえば生ビールです。生ビールといえば音楽わやっぱボサノバなともべなのです。で、ボサノバといえば、ともべ的には小野リサとエウミール・デオダート。夏の夜に家で生ビール飲むときには、毎年お世話になる2大アーティストです。これがまた夏場の生ビールには良く合うんだなぁ~...(笑)

まずわ小野リサのほーから。彼女、日本での音楽シーンのデビューは確か1989年の「ポレール・ワイン」のテレビCMが最初だったように思う。ともべテレビでこのCM見てて、「このヒトの歌、とってもいいよなぁ~...」なーんて思ってた。しばらくしてデビューCD「カトピリ」が出て、2枚目の「ナナン」が出たあたりでもう大ファンになった。シーン全体での人気の火の付き方はワリと遅かったように思うケド、「ともべが良いと思ったモノは、たいがい人気が出る」のジンクス通り、あれよあれよと思う間に「大ブレークっ!!」しちゃった。ともべの予感わ、たいがいが当たるノダ(笑)。

その後、彼女はデビュー・アルバム2枚を残してMIDIからBMGビクターに移籍して、良いアルバムを発表し続けた。ともべ的にはMIDI時代からBMGビクターの前半ぐらいまでの作品、つまり「ナナン」、「ミニーナ」、「セレナータ・カリオカ」、「ナモラーダ」あたりが一番のお気に入り。音楽の耳触りの良さや明快さも、この頃が一番良かったように思う。ただBMGビクターの後半頃の時代になってくると、かのジョアン・ドナートとの競作や、はたまた一番の大御所アントニオ・カルロス・ジョピンとの競演まで、ちょっと「本格的ボサノバ」の志向が強すぎて、我々一般リスナーには耳が付いていかなかったよーに思う。マニアックに「本流ボサノバ」しているので、セールス的にもちょっと低迷していた時期だったよう。

それが今度は東芝EMIに移籍して、再び「一般のリスナーに喜んでもらえるボサノバを」って思ったんだろーと思う。また方向転換をして、今度はクリスマス・ソングのボサノバ版やらイタリア民謡をボサノバにアレンジしたアルバムやら、再度リスナー寄りの音楽に徹底して人気を盛り返した。この頃から現在までの小野リサのアルバムって、かなーり「企画モノ」の印象わ濃イイものの、まあ悪くはないと思う。でも個人的には「マニアックでも企画モノでもない」、てらいがなかった時代の素直な小野リサの音楽が、一番好きだったりもするんだケドねー。(笑)

20070623_2...で、一方のエウミール・デオダート。このヒトわ1972年の「ツァラトゥストラはかく語りき」で、かのリヒャルト・シュトラウスの交響詩を大胆にクロスオーバーにアレンジして、一世を風靡したコトでわつとに有名。でも実は「ツァラトゥストラ~」で世界的に大ブレークする以前にも、ボサノバの分野で優れた作品を数多く残しています。

もともとデオダートはアントニオ・カルロス・ジョピンのアルバムなんかでストリングス・アレンジメント等を担当していたヒトで(かの名盤「ウェーブ」なんか...)、アレンジやプロデュース業の一方で、コンボ形式によるインストのボサノバ・アルバムを発表していた。デオダートは作曲やアレンジの他、自身でオルガンなんかも弾いています。当時のデオダートのハモンド・オルガンの音色セッティングって、「ドローバーのマジックっ!!」なーんてもっぱらの評判だったらしー。

このデオダートのソロ作、とっても軽快なインスト・ボサノバで、素晴らしく良いっ!!ちょうどオルガン中心のコンボ形式の演奏で、ボサノバをとってもイージー・リスニングっぽく演ってるカンジ。「生ビールのお供(笑)」としてわもちろんのこと、夏場のお部屋のBGMとしても超Very Goodっ!!です。以前は写真②のように国内盤CDもずいぶんと出ていたんだけれども、こっちは今では廃盤だと思う。でも輸入盤でこの時期のデオダートの作品はまだまだ入手可能なので、夏場の爽やかなBGMをお探しの向きには、ぜひオススメですよっ!!

20070623_3最後に、デオダートで珍盤を1枚。写真③は、かのジョアン・ドナートとデオダートの競作盤「ドナート/デオダート」です。でも実際には2人が一緒にスタジオでレコーディング作業をしたワケでわなくて、ジョアン・ドナートが作りかけで散らかしていたテープ類を、後年デオダートが「切ったり、貼ったり、音を重ねたり(笑)」してデッチ上げたシロモノらしーです。でもコレがまた、素晴らしく良いっ!!ランディー・ブレッカーやアイアート・モレイラといった豪華なメンツを招いて、ボサノバをクロスオーバー/フュージョンのタッチで演奏しているんだけれども、とっても爽快なブラジリアン・ミュージックです。特にこのアルバムに収録されている「ユー・キャン・ゴー」は、ともべにとってはもうマスター・ピース的な作品で、今聴いても涙が出てきちゃうぐらいノスタルジックな「超名曲っ!!」なのです。

...と、ゆーワケで、夏の夜わ生ビールとボサノバ、あんまし気持ち良くって、くれぐれも「連夜の生ビールで腹がメタボっ!!(笑)」とかならないよーに、お互い注意しましょーネっ!!(笑)

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2006年1月15日 (日)

バリー・マニロウわシンフォである

20060115 写真は年末に買ったバリー・マニロウのベスト盤。CD2枚組。たまたま会社のCD売り場に2枚入荷してて、「ウチの会社のヒトでこんなん誰が買うんかしらん??(笑)」とか思って1枚をともべが購入したら、夕方にはもう1枚もなくなってた。やっぱいまだ好きなヒトっているのねん。(笑)

...で、昨年末ともべ家ではクリスマスあたりからカナーリ ヘビー・ローテーションしていた一枚。個人的に高校生の時分から、バリー・マニロウ大好きです。なんてったって「ヒット曲は作りがぜーんぶ同じ(笑)」とゆーのが良い。どの曲も甘いバラードでしっとりと始まって、2コーラス目あたりからドラムとオーケストラが大々的に導入されて、最後サビの繰り返しでは必ずキーが上がる(笑)。もう「大盛り上がり大会」で、CD2枚聴くとさすがにラヴ・ロマンス映画のエンディングばっか立て続けに20回ぐらい観させられたよーな気になる(笑)。きっとこーゆー音楽、嫌いなヒトは「大嫌いっ!!」なんだろーなー...でもともべ的にはまさに「ツボ(笑)」なのです。

でも思えば高校生の頃からバリー・マニロウなんかを盛んに聴いてて(「涙色の微笑み」や「イーヴン・ナウ」がリアルタイムで大ヒットしてた...)、やっぱそれが今の自分の音楽のベースとなってる部分って大きいと思うのです。一見マニロウは歌モノだからカンケーないようだけれど、「基本的にはロマンチックなバラードで」、「途中からドラムやオーケストラが大々的に入って」、「最後は究極的に盛り上がって終わる(笑)」って、今のともべのシンセ音楽とあんま変わんないじゃん。やっぱ「原体験」って、侮れないデス。

ちなみにともべが高校生の頃は、「ニューヨークを代表する2大AOR」として、ビリー・ジョエルとバリー・マニロウが肩を並べてた。この2人、作風もまったく違うケドお互い仲が悪くて、ビリー・ジョエルなんかは「バリー・マニロウの音楽は気持ちが悪い」(笑)なんて公然と言ってた。音楽的にはビリー・ジョエルはロックでバリー・マニロウはもっとスタンダードな歌ものポップスなんだけど、その後の動向を見ると、ロックであるビリー・ジョエルが長い間ヒット曲を飛ばし続けて、「やっぱロックの勝ちカナ??」なんて思ってた。ところが近年になってビリー・ジョエルはまるまる太っちゃってロクなヒット曲もないみたいだし、一方バリー・マニロウはブロードウェイなんかでの活動が再評価されてて、CDやDVDがバシバシ出てる。やっぱこれは「エンターテイナーの逆転勝ち!!」なんですかねー。

ハナシ変わるケド、昨日「占い@Nifty」で新着の「ケルト占星術」とかやったら、結果で「あなたは動物に例えると「鮭(シャケ)」です。」とか言われた。いきなりあなたは鮭(シャケ)ですっていわれても.....(藁)。

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